エロ表現に関する私見

人は誰でも、傷つけられずに安心できる環境で暮らす権利があります。
これは多くの人が同意し、この社会のルールとして定められていることです。
そして、こういう基本的な考え方やルールというものは、私たち個人が自分と他人双方の権利を守ることで実現されるものです。

「他者の生命や自由、快適さを尊重することが、自分自身の生命・自由・快適さを守る事につながる」
──これは私たちの社会において共有されている価値観のひとつであり、その考えに基づいて様々なルールが作られ、受容されていると言えると思います。

もちろん個別の事例、細かい部分では利害が一致しないこともありますし、何が正しいかも、その人のおかれている立場や環境、趣味・嗜好、主義・思想、そして現実の暮らしのあり方や人間関係によって違ってきます。

ではWEBサイトにおいて、あるいは様々なメディアにおいて、エロ表現はどこまで許されるべきでしょうか?

エロ小説を公開している以上、どうしてもこの問題は避けて通れません。
以下に私の見解を述べておきます。
これが正しいと主張するつもりはなく、飽くまでもひとつの意見にすぎません。ただ、EGO[イーゴ]では成人向けの作品を広く不特定多数に対して公開しています。これには何らかの責任が伴うことでしょう。
そんなわけで、暫定的ではあるものの、EGO[イーゴ]がエロ小説を公開する際のガイドラインと言ってもいいものです。

※これまでの考えの変遷を明らかにするため、重複する部分もありますが、以前書いたものも残すことにしました。

※今後また微妙に考えが変わる可能性もあります。その際にはまた、何らかの見解を示そうと思っています。

EGO的エロ・テキスト公開ガイドライン(2010.05.28)

これまでも様々なメディア(マンガ、アニメ、ビデオ、ゲーム、WEBサイト、写真、小説、絵画……など)の性表現について度々議論がなされ、また規制の対象になってきました。
特に現在の日本では、女性や子どもを陵辱するゲームやビデオが多数生産されており、海外からの批判もあります。

この世の中には性的な表現によって気分を害する人がいます。
児童においては、何の知識もないまま不用意に性的な表現を見聞きすることで、好ましくない影響を受ける場合があることも確かなようです。
また、性犯罪の被害にあった人においては、たとえそれがフィクションであっても、性的な表現に触れることで深刻な二次被害となることもあるでしょう。

そうした「人権侵害」や「危機的状況」における被害の深刻さは、「表現の自由」をはるかに上回ると私は思います。

見たくない人に無理やり見せることは「暴力」ですし、「見たくないヤツは見なけりゃいいんだ」というだけでは、この問題は解決しそうにありません。

議論となる問題点は大きく次の三つだと思われます。

  1. 制作過程における人権侵害──作品の制作過程で、出演する児童や女性の人権が侵害されるケース
  2. 見ない権利──性的な表現を好まない人、それを見聞きすることで被害を受けそうな人、そして好ましくない影響を受けるかもしれない児童の「見ない」権利(保護者においては『見せない』権利)が損なわれるケース
  3. 社会への影響──エロ作品に触れた者がその内容に影響を受け、性犯罪その他の人権侵害を犯すようになる可能性、男女平等や児童の権利といった理念に反して、好ましくない価値観を持つようになる(好ましくない社会通念を形成する)可能性

1.制作過程における人権侵害について

現実の被写体が存在するアダルトビデオや写真集、動画サイトなどについては、被写体本人の許諾が必要であることはもちろん、(たとえ許諾があったとしても)暴力を含む強要や犯罪性があれば、当然処罰の対象となるでしょう。
十分な報酬があったとしても、何らかの強制があった場合、それは犯罪です。

さらに児童においては、性的な行為を行うことだけでなく、性的なメディアに子どもを出演させることは、「当人や親の許諾があったとしても」犯罪です。「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律(外部リンク)」および「児童虐待の防止等に関する法律(外部リンク)」に基づき、厳しく取り締まるべきであると思います。

2.見ない権利について

人には、見たくないものを見ない権利があります。
また、児童の保護者にとっては、保護者が危険と判断したメディアから児童を守る権利があり、同時にそれは(よりよい教育を与えるという)義務でもある筈です。

私には、単純に閲覧を禁止したり公開を禁止するのが子どもを守る唯一の方法だとは思えません。……ですが、そのようにメディアから児童を遠ざけたいという考えは、十分理解できます。

そしてこの「見ない権利、(子どもに)見せない権利」を守るために現在、メディアごとに様々な取り組みがなされています。

テレビでは時間帯による放送内容の自主規制、映画では作品の倫理審査とレイティング(年齢制限)、ビデオ・書籍・ゲームなども同様のレイティング、そして書店やビデオショップ、ゲームなどの販売店などでは、ゾーニングと呼ばれる売り場の隔離と明示が行われています。
インターネットでも、多くのサイトがトップページなどで成人指定のサイトであることを警告し、アクセスに一定の手順が必要となるよう工夫しています。

ただWEB上では、検索エンジンからワンクリックでジャンプしてきたり、リンクを辿っていきなり過激な性表現に触れてしまう可能性があります。
最近ではこうした問題に対しても、OSレベルでのペアレンタルコントロール、ブラウザの環境設定(コンテンツアドバイザなど)、あるいは専用の閲覧制限ソフトで回避することが可能になってきました。また、独自にアクセス制限を設定することが可能なISP(インターネット・サービス・プロバイダ)も少しずつ増えているようです。
このような取り組みは、単に「見ない権利」を守るだけでなく、「表現の自由」とその表現物を「享受する自由」を守ることにつながると思います。

当サイトでは、これまで1.トップページと目次に警告EGO的テキスト公開ガイドライン1を置いてきましたが、今回の更新より、2.性的な表現のあるページのクロール(検索エンジンによるデータ収集)を拒否EGO的テキスト公開ガイドライン2することにしました。(2010.05.28)

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3.社会への影響について

フィクションは、人の意思や感性に影響を与えるものであると私は考えています。
また、オンライン上では、特に児童に対して、その子がどのような環境で暮らしているか、今現在どのような状態かを確認することは不可能です。
そのような環境で無制限に性的な情報を公開することは、それなりの危うさを伴う気がします。

また、レイプを含む性犯罪は心身に深刻なダメージを与えます。身体的な暴力がなくとも、強引な手法で(たとえば脅して、だまして、あるいは催眠術で)相手の意思をねじ曲げる形で性的関係を持つことも、犯罪となります。また、たとえ検挙されなくとも、それが犯罪であるかどうか以前に、加害者に大きな責任があることは言うまでもありません。

その一方、こうした暴力とエロスを題材としたフィクションが、人を惹きつけるのも確かなことです。
そして、そういった物語が(見る人によっては)大いに興奮を喚起することも間違いありません。(私はそうです)

……というか、私自身がまさに性的興奮を楽しむためにそういう作品を見るわけだし、逆に作り手の立場においては、不特定多数の興奮を喚起することを目指して書いている部分が多々あります。

物語はフィクションであっても、それを見聞きして沸き起こる興奮や感情の揺れは、まさにリアルに起きることです。だからこそ、そういった作品が犯罪を誘発する可能性はもちろん、たとえ犯罪に至らなくても「女性蔑視」や「犯罪行為に対する軽視」につながるという指摘は、全く根拠のないことではないと感じます。

ただ、暴力を含むフィクションを楽しむ行為と、実際に暴力を振るう行為は、まったくの別物です。
たとえ暴力への欲求が生まれたとしても、実際に行為に及ぶまでには何段階、何種類もの判断と選択の積み重ねが必要な筈です。
「暴力に結びつくかもしれない」という仮定に基づいて表現を禁止するのは、行き過ぎた対処であるばかりでなく、事の本質をすり替え覆い隠してしまう危険性があると思います。

(性)暴力は、この社会とそこに暮らす私自身に深く根づいていると私は感じます。

今よりも過激な性表現が禁じられていた時代においても性犯罪はありました。
逆に当時は犯罪と見做されなかったが、実際には深刻な侵害が起きていたことも多々あっただろうと思います。そういった意味ではむしろ、現在は以前に比べそのような人権侵害が問題化するようになり、だから一見増えているように見えるのではないか、だとしたら少なくとも問題として浮上するようになっただけマシなのではないか、とも思います。

性犯罪が増えているわけではありません。
時代の変遷で人びとの考えは大きく変わりますが、こと人権に関して軽視する方向に進むことは(戦時中などの限定された状況を除き)これまでなかったし、恐らくこれからもないでしょう。

そんな中で、陵辱をテーマにしたエロ作品が大量生産されていることや、それを好んで消費する人に対して風当たりが強くなるのもわからないではありません。

しかし、そんな風に陵辱のフィクションを好む人たちもまた、その多くが(昔よりは)高い人権意識を持っていると私は思います。
特に我が国においてそうした作品を好む人びとの多くは、それらを完全なフィクションとして楽しみたいのであり、現実に女性を陵辱したいわけではありません。法的に禁止されているからしないのではなく、そもそも望んでいない人がほとんどでしょう。

陵辱作品は、その過激さ猥雑さが突出しているが故にとてもわかりやすい形で非難の対象になる気がします。
もちろん「(ある人にとって)不快である」、ということには十分な配慮が必要でしょう。……ですが、その突出した表現を求める心性は、即座に性犯罪とつながるものではありません。
現状では、作品(メディア)と現実の犯罪を関連づけるデータも乏しく、因果関係について検証はされていません。

「男女平等という理念に反する」「性に関する誤った知識や感性を広め、望ましい性的関係の構築を阻害する」という指摘もあります。これについては、確かにその可能性は高いでしょう。

しかし、「男女平等」に関しては、エロ表現の規制・禁止以前に取り組むべき社会的な課題、慣習や価値観の問題が山積していると思うし、「望ましい関係性」についても、「望ましくない在り方」を見えなくするのではなく、「望ましい在り方」を広めていくことの方が重要ではないでしょうか。

また、エロ作品のどれが過剰な刺激をもたらし、どの程度なら問題にならない範囲か、はたまた何を規制し何は許容されるべきかは、最終的には裁定者の主観によって判断されることになります。
作品の製作者(たとえば私)がどのような意図で、何を考えて表現しているかについて、同等の権限を持って意見を述べられればいいのですが、そういった仕組みを作ることは非常に難しいだろうし、恣意的な規制となる危険性が否めません。

EGO[イーゴ]では、性や暴力について無制限に公開していいとは考えていません。
ですが、行政主導の形で一律に禁止・規制することには反対です。

差別や暴力そして支配は、少なくとも現在の社会における通奏低音のようなものであると思うし、私自身もどっぷりとその性質を帯びています。そのような欲求や力動をただ規制することでは、暴力や性犯罪は決してなくなることがないだろうと考えます。

そういった暴力性や支配欲について否認せず、しかし実際に暴力に及ぶのではなく、その欲求や力動を創作に振り向けることは(私にとって)必然的かつ非常に魅力的な行為だし、地球上の生き物の中で唯一人間に与えられた特権であるとも思います。

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当サイトの作品について、どの程度の年齢制限を行うべきかについても悩むところです。

特に「秘密の箱」は、思春期の恋愛や性体験、それに伴うすれ違いや齟齬について描いているものなので、本来なら思春期の人たちにこそ読んでもらいたい話だったりします。
私は自分自身の思春期を思い起こしながら、その記憶と感覚を読んでくれた人と共有したい。だから、性的な興奮だけでなく不安や躊躇いについてもできるだけ嘘のないように書いているつもりだし、そこに潜む暴力性や支配にまつわる失敗についてもきちんと書いていきたいと思っています。

──ですが、飽くまでこれはフィクションであり、だからこそ逆に成人指定とする必要がありました。

誰かが実際にした(性的)体験について、いいとか悪いとか決めることはできません。
「大人が子どもを搾取する」などの犯罪でない限り、他人がとやかく言うべきではないと思います。

但し、特に子どもに対してはリスクについて伝えておくべきでしょう。

また、リスクを避けるための対処と、その前提として「危険を回避するための選択が可能である」ということ、自分自身を大事にして欲しいと願っている大人がいることを伝えたいとも思います。
そして、たとえ困難な状況に陥ったとしても、あるいはどうしても回避できずに被害にあったり、さらには加害者になったとしても、それで人生が終わるわけではないし、人としての価値が無になるわけではないことを、ぜひ伝えたいと思います。(←損得をベースにしたモラルは、損得によって破綻します)

まして、現実にそのような状況に陥ることに比べたら、WEBサイトでこっそり成人指定の小説を読むくらいどうってことありません。

……どうってことありませんが、しかしそこにも何らかの3.リスクがあることを、明示しておくEGO的テキスト公開ガイドライン3必要はあります。

何故なら、それが意識的な自分自身の選択である時に、初めて本当の責任が発生するからです。

未成年の人が、当サイトのトップページや目次ページにある注意書きを読んだ上で、それでもここにある作品を読もうとするなら、その行為を止めるスベはありません。
それは、厳密な意味で完全にその人の選択によるものです。

そういった意味においても、性的な表現物に影響されて性犯罪が増えるという説を私は支持しません。

誰でも犯罪を犯せる以上、誰にでも可能性はある。
でもほとんどの人が、犯罪は賢い選択でないことを知っていて、それを避ける。
エロ小説サイトに掲載された作品を読むことが、どの程度のダメージを与えるかはよくわからないし、人によっても違うでしょう。ただ、その可能性が0ではないことを知った上で、その影響と自分の状況や精神状態などを比較検討しながら、自分で決める。

それこそがメディア・リテラシーというものではないでしょうか?

自らの責任において選択しているということが非常に重要だと思うし、身の裡に潜む(性)暴力や支配に対する欲求に(自覚的に)触れることができるのも、それをバーチャルに解消するのも、フィクションの持つ大きな魅力のひとつだと思います。

さて、そんなわけで、当サイトに収録されている小説は(それが目的のすべてではないとしても)性的興奮を催すことを目的としており、読んだ人に好ましくない影響を与えるかもしれません。

ご自身の判断で、楽しんで頂ければ幸いです。

(2010.03.13作成)

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陵辱ゲームに対する考え方(2009.06.06「戦い」EGOゑぶろぐより)

  1. 日本製のゲームが、国外で問題となったこと、多くの人々の気分を害したことについて大変遺憾に思う。
  2. 国内では一定のゾーニングがなされているが、今回海外のサイトにおいて、なんらの警告もなされずに一般のサイトでこうしたゲームが販売されていたことは、流通・販売側にも一定の責任があると思われる。
  3. 性犯罪は憎むべき行為であり、より一層の取り締まりに加え、防止策についても検討し、またこうした過激な内容のゲームの流通・販売等が規則通りに行われているか調査すべきである。
  4. 指摘のとおり、我が国では女性や子どもを陵辱するゲームやビデオが多数出回っている。しかしながら、諸外国と比べ、必ずしも性犯罪が多発しているとはいえない。

    ※資料:国際連合薬物犯罪事務所-UNODCによる1998年から2000年にかけての各国の犯罪状況資料(PDF)(外部リンク)

    このことは、必ずしもこうした過激なゲームが「直接的に犯罪形成の要因になるとは限らない」ことを示唆している。

    ※現実の児童への性的な行為ならびに性的なビデオに児童を出演させる等の犯罪については、「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律(外部リンク)および「児童虐待の防止等に関する法律(外部リンク)に基づき、今後も厳しく取り締まるべきである。

    ※成人女性に対する性犯罪についても同様である。

  5. 我が国のゲーム文化においては、女性のキャラクターを陵辱する物語を完全なフィクションとして楽しむ層が存在する。この層において、現実の女性は陵辱対象ではないことが殆どである。(できれば調査を行い、その調査結果を添付するのが望ましいが、今のところ調査結果はない)これが我が国固有の在り方かどうかはわからないが、少なくとも実際の性犯罪と厳密に区別する必要があると考える。
  6. これら陵辱ゲームの内容が、女性蔑視に繋がるという意見には真摯に耳を傾けるものである。ただし「男女平等」という理念の実現については、日々の生活の中で体感を通して醸成されるべきであり、フィクションの規制によってではなく、実際的な教育や現実の政策において実現していきたい。
  7. 性表現、暴力表現に関してある程度の規制は必要だが、それ以上に重要なことは、実際の性暴力・性被害を最小限にとどめ、減らしていくことである。
    このために必要な対策をさらに拡充する必要がある。
  8. 性暴力表現など「見たくないもの」「見ると傷つくもの」を「見ない権利」については、非常に重要だと認識している。また、児童に対する影響についても十分に考慮し、年齢制限策やゾーニングをさらに徹底すべきである。

(2009.06.06作成)

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『児童ポルノ』と『児童ポルノ禁止法』に関して

児童には健康で安心できる環境で暮らす権利があります。「性的被害にあわない」ことが基本的人権であることはいうまでもありません。それは常に「表現の自由」よりも優先して守られなければならない権利です。

しかし、少なくとも
その1:児童を性的虐待/搾取から保護する。
その2:児童の健全育成のために、むやみに性的な欲求を刺激するメディアから保護する。
という二点に関して、きちんと分けて考える必要があると思います。

児童ポルノに関してまず大人(≒社会)が責任を負うべき一番重要なことは、いうまでもなく「児童を守る」ことです。そして、その目的にかなった対策が必要です。

たとえば、実際に子どもたちを使って撮影した児童ポルノを制作したり公開することは、児童買春と同じくかれらの人権を著しく損なうので、厳しく取り締まるべきでしょう。
しかし、創作した絵,マンガ,小説などに登場するキャラクターは、いわば想像上の児童であって、これを保護するのは法律の及ぶところではありません。(保護されるべき児童は、制作者、あるいは読者/視聴者の頭の中にいるのです)

ここは、きっちりと「現実と妄想」に境界線を引く必要があります。

規制が必要なのは「性的シーンによって誘発される犯罪」から児童を守るためだ、という考えもあります。(児ポ禁法の本来の目的からは離れます)
これは、児童の受ける性被害を未然に防ぐのと同時に、加害者も生みださない方策、つまり犯罪そのものを抑止しようという考えだと思います。

確かに、実際に性的なシーンに感化されて性犯罪が増えているのであればそれは大問題だし、規制も有効でしょう。しかし、これを論拠にするのであれば、「性犯罪と性的な創作物の相関性」を示す正しいデータ公開が必要です。もし「関係があるに決まっている」という想像の元にエロ創作物を規制しようというのであれば、それこそ「現実と妄想」の境界線が揺らいでいることになるのではないでしょうか。

〜ここにあった一文は、伝聞で元ソースが明らかにできないため、削除しました〜

しかし私は同時に、性的弱者である「児童」が、ひどい性的虐待の描写を見た場合、それが脳裏に焼きつき、ある誤った価値観を醸成したり心的外傷となったりする可能性はあると考えています。
この場合一番大きな問題なのは、「見たいと思っていない児童」が“つい”“うっかり”“何の気なしに”眼にしてしまうことです。

「見たくない/見せたくない」という権利と「見たい/発表したい」という権利がともに損なわれない方法(棲み分け)をきちんと構築することはそんなに難しいことではないハズです。

しかし、それ以上に重要なのは、まさに子どもたちに、確固たる人権があること(これは当然、大人の横暴に対してNOという権利を含む)と、この社会の様々な危険に関する具体的な情報、それから身を守るための実際的な対処などをきちんと伝えていくことだと思います。
子どもにきちんとした権利があることを認めずに、一方的に危険から遠ざけようとするのは、単なる「支配」に他なりません。

最後にもうひとつだけ。

大人だったら、子どもに胸張って(声を潜めるという演出はアリ)「エロスっていいもんだぜぇ」くらいいいたい……。私はそう思います。
そんなに性がイケナイものならば、大人だって「セックスなんか、するんじゃねえ!」ってことにならないでしょうか?

もし、腐ったエロスしかないなら、それは腐らせた大人の責任でしょう。子どもに腐ったものを喰わせたくないのであれば、「じゃあもっと新鮮で質のいいエロスを出せよ」って話です。もちろん、それを喜んで食べてくれるかどうかはわからないし、場合によっては「大人ってフケツ!」と悪態をつく“自由”もまた子どもたちにはあります。

ちなみに……

裸じゃないのよ エロスは フ フゥ〜♪
好きだといってるじゃないの ハ ハァ〜ン♪

というわけで、マンガやゲームから一律に裸のシーンを抜き出して規制しようというのは、別の問題を覆い隠そうとしているだけだと感じます。

(2003.11.30作成/2004.03.02一部修正)

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「エロ表現」の正当性やその意義について主張するつもりはありません。ただ自分にとって必要な物語を書いていくことで、それが何らかの答になればいいなと思います。