雑記帳

「ひみつの組織が来て、8時のニュースが大変♪」

「相対性理論」(バンド)の「ミス・パラレルワールド」を聴きながら、街を歩く。

この世界は、本当に何が起きても不思議じゃない。

──そんなふうに思う。


昨年、サーバー移転を行った際にも、またノクターンノベルズさんを利用して「秘密の箱」新章(2-13)を投稿した際にも、結局EGO[イーゴ]のサイト更新は最低限度で、ほとんど手付かずのままでした。

結局、ここ2年のスマホの普及が半端なく、私も仕事ではHTML5を弄るようになりました。

リキッド・レイアウト、レスポンシブ・デザインで、画面サイズにあわせて配置や文字サイズが変更される仕組み。

……しかし、EGO[イーゴ]のファイルをそれに対応させるには、いかんせん現在作成済みのxHTMLで行っている記述が仇となります。

何が無理か、……そのへんの技術的な話はさておき、そんなわけで、「秘密の箱」の新章をせっかく公開したのにも関わらず、サイトの更新が出来ずにいました。


それは今も変わっていません。

ずっとローカル(自分のパソコン)に放置され、時々開いては書き、プロットにも何度も手を入れ直し、そんなふうに少しずつ作業していた「GGSD」。

E=mC2さんに「GGSD」を公開したのにもかかわらず、当サイトは以前そのまま、手付かずのままです。

ずっと暖めていた。ずっと書いてきた。あの「ガツン」の謎に敢然と立ち向かい、馬鹿馬鹿しい話を大真面目に、とことん大げさに書く。

これは、ただただ作者が楽しんでいるだけの、読者おいてけぼりのホラ話かもしれません。


私はSF好きです。

もちろん私以上にSF好きで、沢山の作品を読み、大量の映画も残さずチェックしている人だってゴマンといるでしょう。

──「GGSD」に引用している作品ですら、私はすべてを読んでいるわけではありません。名前だけ知っているものも平気で混ぜこんでいます。

それでも、いいじゃないですか。

これは吾妻ひでお師の「不条理日記」のようなものなのですから。


私が愛してやまないSF小説、映画、アニメ、特撮作品と、同じく愛してやまないE=mC2所蔵の「ガツン」シリーズが出会った瞬間、ゾクゾクするような興奮が脳に走りました。

そしてそれは、何か新しいアイデアを思いつき、あるいはネットやTVで見つけたネタをGGSDに反映させる度に、より深い悦楽となって繰り返されるのです。


たとえば半村良師の「亜空間要塞」のように、あるいは平井和正師の「超革命的中学生集団」のように、私は大真面目にハジケた話が大好物です。

もちろん「銀河ヒッチハイク・ガイド」はTVシリーズも映画も大好きです。小説は読んでないのですが……魚をありがとう!

ちょっと毛色は違いますが、筒井康隆御大の「俗物図鑑」を読んだのは、中学生の時でした。あのエロありグロありギャグありの作品のラストシーンに私は真に感動し、涙を流しました。


私ごときにそのような感動作が書けるとは思っていません。

──それでも「読んだぁー!」という「重量感」を私は愛してやみません。

だからそのように、私は「GGSD」を書きたいと思い、これからも無理のない範囲で続けていきたいと思っています。


そして、「GGSD」を書き始めることによって、「秘密の箱」もまた進み始めました。

「秘密の箱」2-14「共振現象」は、オンラインMCエロ作家仲間であるみゃふさんの言葉を借りれば、「時間にしたら1~2時間」の物語。そこに「恐ろしく凝縮され」た会話と心理描写、そしてノンバーバルなコミュニケーションが詰め込まれています。

……これもまた、読者おいてけぼり、ただただ作者の愉悦にのみ忠実に従い描写された物語であるような気もします。

もしそれを楽しんでくださる方がいるのなら、作者としてこれほど嬉しいことはありません。


この10年で私は10歳、歳をとりました。

その間いろんなことがありました。

いえ、たとえばこの1年だけでも、信じられないようなことが次々と起こりました。

そして、私や私のまわりだけでなく、広く世界やこの国の在りようも、どんどん変わっていきます。


この世界は、何が起きてもおかしくない。

胡散臭く、面倒臭いことだらけの世の中で、「生きていることの価値」すらアヤフヤになることもある。この世界は、時に自己肯定感を容易に奪っていくと感じています。


しかしそれでも今この瞬間したいことがあり、少しでもそれにチャレンジできることは、あるいはとても幸福なこともしれません。

多分私は自分の人生を、そうやって使っていくのでしょう。

どうかご無理のない範囲で、疲れない範囲で、おつきあい頂ければ幸いです。

(2015.09.21「ミス・パラレルワールド」を聴きながら)

3.11以降、私の人生は変った。

いやもちろん、常に変わり続けているわけではあるけれど、予定外のことが増えてしまった。

本当なら、昨年の10月に引越してきた住宅で、私は腰を落ち着けて自分のやるべきこととやりたいことを見極め、できるだけシンプルに落ち着いた生活をする、……その筈だったのだ。


20代の半ばに東電福島第二原子力発電所へ見学に行き、また樋口健二さんの写真と出会い、お世話になり写真展を開いたりもしていたせいで、原発について中途半端な知識はあった。それがどの程度危険かも、各地の原発で(今回ほどの大事には至らないまでも)事故が起き続けていることも、情報としては知っていた。

しかし、チェルノブイリ以降にわき上がった反・脱原発の盛り上がりの中でも日本の原発は止まることがなかったし、「日本の技術力によって、ぎりぎりなんとか最悪の事故を起こさずにいてくれる」という「甘い期待」の下で、何か語る時にはただ「反対」であると言っていればそれでよかった。──3.11までは。

京大原子炉実験所助教の小出裕章さんによれば、日本の核技術は一度、第二次大戦の敗戦時にすべて没収され、未だに10年は遅れているという。そういわれてみれば多くの原子炉が国産でないのも、アレバから技術提供を受けながら未だに六ヶ所の再処理工場が稼働しないのも、納得がいく。しかし、その話を聞いたのはフクイチの事故後だ。私もまたどこかで「安全神話」を抱いていたように思う。


オンライン小説の、しかもエロとフィクションが売りのサイトで、何を言っているのかと思う方もいるでしょう。

しかしそれくらい、私にとって3.11は衝撃だったのです。

フィクションでなら十分設定として楽しめた筈のカタストロフが現実に起きた時、リアルなフィクションも破天荒なフィクションも、一瞬黙り込まざるを得なかったような気がしてなりません。


私は今、フィクションを描けずにいます。

しかし、フィクションやファンタジーが圧倒的な現実のカタストロフに対して無力だというつもりはまったくありません。

いや逆に、今こそ、フィクションが必要だとも思っています。

ただ、大前提として私は、3.11以降の日本に生きています。そこでは東日本を中心に放射性物質がばらまかれ、しかもそれは日本全土に、そして地球の隅々にまで拡散しつつあります。


私たち日本人は気付きづらいかもしれないけれど、ニューヨーカーたちは2002年に公開された映画「スパイダーマン」がその活躍の場を巧妙にワールド・トレード・センタービルが見えない位置に限定していることに気がつくだろうし、既にカメラに映っていたワールドトレードセンタービルはすべて消去されました。そのことによって街の風景にどこか違和感を覚えた人もいるかもしれません。

それはすでにスケジュールが決まった制作と公開の流れの中で、そうせざるを得なかったわけですが、似たようなことを私もせざるを得ない気持です。


連載が止まっているもの、ローカルで書きかけのもの、そのどれもが、私にとっては大事で愛おしい。でも、だから余計に、エンターテイメント性を無視せずに、しかし3.11以降のこの日本における自分自身に対して嘘のない話を書きたい。

そう思っています。

“いつ”とは約束できませんが、連載の再開を、そして新しい物語が紡がれる日を一番心待ちにしているのは、多分作者である私自身であると、それだけは確信を持っていたりするのです。

(2011.11.05 夜明けのインスタントコーヒーを飲みながら)

トレドミン(SNRI=抗うつ薬)とメイラックス(抗不安薬)それぞれ毎日2錠飲んでる状態で、それでもいい加減できることしたいという気持はあって、どうにも自分(と自分の病状)が信用なりません。

本当なら、ローカルで溜まっていくあれやこれを、中途半端の状態でもいいから見せてしまいたいという誘惑もあるのですが、なんとかそれに抗いつつ、某所で書いていたアレをぜひ皆さんにお披露目することにしました。


というわけで、「ホンジョロイドは笑わない。」シリーズ、お蔵出しです。

ローカルでは、アホウで馬鹿馬鹿しい話を大まじめに書く、そんなパロディSFに取り組んでいます。その余波で、どうしても肩の力を抜いたものを書きたくなり、短編を連作で書いてみました。

ちょびっつ設定がヒミハコと被り気味になりそうなところをなんとか調整しながら、甘いエロを目指して書いているのですが、……そこはそれ、やっぱり同じ作者の手によるものであるせいか、似たシーンが随所に。

とはいえ、ヒミハコのようなシリアスな部分はないので、お気軽にお楽しみ頂ければ幸いです。

大体、投稿先のお題に沿うのが精一杯で、特に何か大きなストーリーがあるわけではなく、シチュエーションのみのラブ&エロス。……何故か寸止めが目立つのは、NOV.FALL仕様かもw


とにもかくにも、気に入って頂ければ幸いです。

本当なら、せっかく進んだ「ぜらやなたり。」の修正と掲載、そしてたっぷりたまっている掲示板劇場未掲載作品の更新も行いたかったのですが、さすがにそこまでの気力が湧きませんでした。

もう少し調子が戻ったら、ぜひそちらもやりたいと思っています。

(2011.03.09 ガスファンヒーターの設定温度を下げながら)

前回の雑記帳には、2006年11月の記載が……。

え? うわーっ、もう4年前っ?!

……というわけで、完全リニューアルです。

どう? ビックリした?w


ずっとしたかった。

いつかはしなければ、いや絶対にしたい。

──そう思っていたHTMLの完全書き直し。

とはいえ、頭の右斜め後ろから「そんなことするヒマあるなら、とにかく新作書け!」という声も聞こえてくるし、いったん手をつけたらかなり膨大な量の作業が待っているのも見えてた。

せっかく更新するならヒミハコとかバットラとかの新作をひっさげて、「どーだい!」とばかりに世間を見返してやりたかった。続きを待っている人をガッカリさせるのも辛いし、不全感で自分自身がガックリするのも怖かった。


……でも、もうそんなこと言ったり考えたりする余裕もないって感じです。

ネットの片隅のちっぽけなサイトが数年ぶりに更新したからって何だっていうの?


誰が何をどう感じようが、ガッカリしようが腹をたてようが、私にはホントに些細なことすらできなくなる時がある。

それにこれは、死ぬまでの間、何をしてどのように時間を潰すかってだけの話で、やれる時にやれることをやるだけのことである気がする。


もう随分昔に書いた「快感のキョウセイ」、止まったままの「ぜらやなたり。」──それだって微かな足跡には違いない。


さて、ちょっとだけテクニカルな話。

随分前のブログにも書いたのだけれど、今回はできるだけWEB標準ってヤツに準拠するようにHTMLを作りました。


とはいえ、XHTML1.0の仕様はまたいずれHTML5にとってかわられることでしょう。

もちろん新しい規格や技術ができたからといって、それに準拠しなければならないわけじゃない。

わけじゃないけど、なんらかの便利さや整合性がそこにあるなら、取り入れるのも悪くはない。

ただ、それをするにはまた、かなり大掛かりな変更が必要になります。


そうなったら、また一から書き直したくなったりもするだろうし、そもそもデザインを大幅に変えるためには、構造そのものを見直さざるを得ない。

それはわかった上で、せめてこの体裁に飽きるまでしばらく使えるものにしたかった。


1ページ1ページ見栄えを確認し、少しずつ積み上げるようにファイルを作っていると、新たな課題と新たなアイデアが同時に生まれる。

それは物語を書いている時とまったく一緒で、前よりもできること(≒やりたいこと)が増えるのと同時に、その何倍も時間がかかるようになってしまった。

「更新しよう、そうしよう」

そう思って作業を始めたのが2月の末、結局まるまる3ヶ月かかってのお披露目です。


──ああ、人生って短い。

そして思ったようには転がらない。

しかしこの更新は、『人類にとってはミクロな一歩だが、私にとっては大きな一歩』なのです。

(2010.05.27 『モノクロームエフェクト』を聴きながら)

更新内容やテキストの解説をしています。まあ、蛇足といえば蛇足。